ママ、がんばらない!

子育てを楽しく!手抜きじゃなくて効率的と言って。

流産のはなし③ 心の中

今回もこんな話です。

読みたくない方はUターンお願いします。

 

 

 

 

 

家族に報告をして翌日

 

何事もなかったかのように

夏期講習に出勤しました。

 

一人で家にいても

鬱屈とするだけだろう

と思ったからです。

 

でも、

国語の文章が全然頭に入らない。

英単語の意味が出てこない。

 

こんなので授業したら申し訳ない

という気にもなりました。

 

一日中食欲がなくて

夫はそれを一番心配しました。

(食だけが生きがいみたいな人間ですから。笑)

 

家に帰るとおかあさんが

夕飯を用意してくれています。

食べなかったら心配をかけるので

無理矢理詰め込みました。

 

夕飯を食べてからは

少し休みます

といって部屋に上がり

ブログを読んだり

泣いたり

しました。

 

 

30週を超えての死産

不妊治療の末の死産

第一子の死産

 

いろんな悲しみが

世の中にはありました。

 

私は

13週で思い出も少ない。

ありがたく自然に妊娠した。

娘がいてくれる。

 

私よりもっと絶望感を味わっている人がいる。

私ごときが

騒ぐほどではない。

比べ物にならない。

 

そう思っても

 

悲しみって大小じゃない。

 

悲しいか

悲しくないか

 

その二択しかないんです。

 

この世にもっと大きな悲しみがある

ということは

なんの救いにもなりませんでした。

 

 

また、

流産自体よくあること

というデータ

 

よくあることだ

運が悪かったから

次に期待しよう!

 

とはなりません。

 

親を亡くして悲しんでいる人に

人の死はよくある(100%)ことですよ

なんて声かけませんよね。

 

よくあるかどうか

ではなく

いま自分の身に起きた

 

それしか見えません。

絶対この二つの発言は

やめてほしいと思います。

 

 

今後の方針を決めるために

病院に行けば

 

当然

幸せな妊婦さんがいます。

 

それを見て

なんでこの場にいなきゃいけないの

と思いました。

 

私は不思議と

他の妊婦さんを羨む気持ちは

ありませんでした。

なんで私が

とも思いませんでした。

 

あの人の赤ちゃんは

どうか無事に生まれますように。

 

そう思えるのですが

 

その後すぐに

 

私は

死んだ子を産むんだ

 

というのが思い出されて

 

やはり悲しくなりました。

 

そんな思いを街中でも

何回も繰り返し

入院に至ります。