ママ、がんばらない!

子育てを楽しく!手抜きじゃなくて効率的と言って。

13週の流産 その後③気持ち

こんにちは、ぱとです。

 

流産から約1年。

気持ちもだいぶん落ち着きました。

それでも

たまに思い出すことがあります。

 

いま

まだその渦の中にいて

辛い思いの方もいらっしゃると思います。

 

赤ちゃんを大切に思う気持ち

 

素敵だな、と思います。

 

 

いまこの経験を振り返って

思うことを書きます。

 

まず

私が今回一番しんどかったのは

「赤ちゃんがダメになったという報告」

でした。

 

親や親友に妊娠報告していたことを

後悔しました。

 

もっと慎重に報告すべきだったなと。

 

嬉しい気持ちはあっても

やはり何が起こるかわからない…

次はもっとゆっくり報告しよう

と思いました。

 

それでも

報告しないといけない場面があります。

 

私は義両親と同居なので、

お酒を断る理由に限界があります。

生魚を食べなくなる理由も

ごまかすには限度があります。

 

だから義両親には

早々に報告しなくてはいけない。

 

これが実は

今回結構大きな傷を生みました。

 

義両親が

私の許可なく

妊娠を複数の人に

言ってしまったのです。

報告するには早すぎると伝えたのに。

 

私がある行事に参加できなくなったとき

妊娠したから

と理由を言ってしまったそうです。

 

しかも

他の人に言った

ということも

しばらく知りませんでした。

 

このせいで

私は流産まで知られることになりました。

 

かわいそうな人

はれもの

 

そうなった気がして

辛さが何倍にもなりました。

 

義両親も

嬉しい気持ちで言っていたのは

分かっています。

でも……

 

 

ですから

妊娠のお話は

他の人に勝手にしないでほしいです。

 

その人はあなたを信じて伝えたのです。

 

あなたに伝えたかったのです。

あなたにお祝いして欲しかったのです。

 

他の人への報告は

頼まれたならするか

本人がするはずです。

 

勝手に言いふらさないでください…

 

 

これが今回の一番の反省です。

もっと釘を刺しておくべきだった。

 

 

 

そしてもうひとつの気持ちの山場。

 

他の人からの妊娠報告

です。

 

私の流産から半年、

義妹から妊娠報告をうけました。

 

大好きな義妹です。

子どもが欲しいとずっと言っていた義妹。

 

念願の妊娠に

私も大喜びしました。

 

私が流産したことも知っているので

(義両親からの流出先のひとつ。笑)

言いづらかったかな

と思ったりもします。

 

妊娠報告を受けた時の気持ち。

 

おめでとう100%

 

なんで私のところには

帰ってこないの?50%

 

 

トータル100にならないことに

おどろきました。

 

お祝いする気持ちは100%あるのです。

 

私のところに来てくれたらよかったのに!

なんでアンタなのよ!

とか

そういう

人の不幸を願う気持ちは

ゼロです。

 

でも

なんで私はダメなの?

 

という気持ちは沸きます。

 

すごい不思議な感覚でした。

 

 

私は

妊娠報告は

大歓迎です。

 

誰かの幸せは嬉しいです。

 

でも、これ

たぶん

人によってはとんでもないダメージです。

 

努力によって

どうにかできることならともかく

どうにもならないからこそ

相手にあって

自分にないものが

悔しい。

 

妊娠報告を聞いて

笑顔でおめでとうと言っていても

心はボロボロ

 

そういう人がいるはずです。

 

しかも、

100%おめでとうと思えない

こんなブラックな気持ちがわくなんて

最低

自分を責めて

また悪循環に陥ります。

 

そんな人が

実はいっぱい

この世界には

いる。

 

 

それを私は流産から教わりました。

13週の流産 その後②体調

こんにちは、ぱとです。

 

退院から約1年。

体調面はどうだったのか?

 

 

まず、出血。

 

悪露が2週間以上続きました。

 

2週間後の病院では

え、まだ結構鮮血ですか?

と驚かれ

洗浄して、

早めに終わるようにしてくれました。

その後割とすぐ出血は終わりました。

 

お腹が痛い、というのはありませんでした。

 

 

3週間後の病院では

 

卵巣が腫れている

といわれ、再診することに。

 

そのあと、比較的すぐに生理が来ました。

結構普通でした。

ただ、生理前症状がきつくなった?

と思いました。

体温の変動もキツく感じます。

 

 

さらに一週間後。

 

腫れは治まっていました。

また

 

間もなく排卵しそうな卵がありますよ

 

と言われました。

私は二、三日前に気持ち悪かったので

てっきりもう排卵したものだと…

 

先生的には

妊娠チャンスやで!

という感じで

言ってくれたのでしょう。

先生は、生理を何回見送りましょう、

というタイプではありませんでした。

 

悪露から一ヶ月で生理が来て、

排卵しそうな感じにもなった。

体が普通に戻るのが比較的早く

安心しました。

 

 

結局、

 

悪露がまぁまぁ長かった

生理前の体質が変わった

 

この2点が特筆すべき点でした。

 

13週の流産 その後① 火葬まで

こんにちは、ぱとです。

 

気が向いた時しか書かないので

あ、なんかあったな。

と思われる方もいらっしゃるでしょう。笑

備忘録や気持ちの整理に使っているので

そうなっちゃうのです。

 

去年8月、

13週をすぎた赤ちゃんを流産しました。

 

あれから色々な気持ちの変化があったので、

忘れないように

同じ立場の方や

そのご家族の参考になるように

書いておこうと思います。

 

退院から3日、フルで職場復帰しました。

塾の先生なので、夏期講習中だったのです。

これ以上受験生に迷惑かけられない

という思いが、

私を強制的に立ち直らせました。

 

でも

全然文章が頭に入ってこない。

 

気がつくと考えてしまう。

 

家に帰り、笑顔の仮面を外した時

急に涙が出る。

 

いつか落ち着くはず

 

そう言い聞かせて、

今は感情に任せよう

無理に感情を抑えなくていいや

と思っていました。

 

 

週末の火葬。

義両親の申し出は断り、

夫婦だけでいきました。

 

泣くかもしれない。

それを見られたくない。

 

それに総出で見送ると、

ものすごく悲しい出来事であることが

強調される気がして

立ち直るのに時間がかかる気がしました。

 

もちろんこれはいろんな考え方があるので

ご本人の意思を尊重していただければ

と思う限りです。

 

 

誰もいない火葬場。

まるで気を遣ってもらっているかのよう。

 

係の方は

手のひらほどの箱を

大人の棺と同じように

丁寧に丁寧に扱い

深く頭を下げて見送ってくれました。

 

やっぱりヒトだったのよね

 

お腹にいる時も

産んだ後もピンときていなかったけれど

人として扱われる様をみて

一人の人間が死んだ

という悲しさがこみあげます。

 

お骨を集めるとき、

デザートを食べるスプーンを渡されました。

もちろんお箸で拾えるようなものは

ないのです。

 

プリン食べるやつ…

 

と思って

不謹慎な気持ちになりました…

 

お骨が出てきた時、

 

どれが?

え、どれ?

 

というくらい姿形がありません。

 

よーくみると

小指の爪を切ったようなものが…

あとは粉。

 

係の方に、

このあたりですね

と言われながらスプーンで拾う。

 

あとで夫と話したのですが

「あれレンガの破片ちゃう?」

と思いながら拾っていました。

 

とにかく可能性のあるものを拾いましたが

それでも

ティースプーン一杯すら

ないのです。

 

骨壷の床一面すら

うまらない。

 

ちいさいな

 

 

包んでもらって

車で帰ります。

 

お骨はお墓に入れず

しばらく手元に置くことにしました。

 

どこのお墓に入るの?

と悩んだからです。

 

夫の家のお墓は

私にとって縁のない土地にあります。

他の選択肢を考えても一番遠いです。

 

実家のお墓に入れるのは

たぶんおかしいですよね。

それに親戚に言わなきゃいけない。

 

市の共同墓地は

この市に愛着がない。

 

それで

一区切りつくまでは手元に置こうと。

 

一区切りってなに?

という気もしますが…

 

 

私は、

火葬が済んだら前を向く

と決めていました。

 

スパッと忘れよう

などとは思っていませんが

 

また命を授かる。

 

これ以上に

心が癒やされることはないだろう

と思っていました。

 

だから

忘れずに

次のことを考えていこう

そう決めました。

流産のはなし⑨ 退院と静養

流産のはなしもそろそろ終わりです。

読みたくない方はUターンお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

朝。

 

立ち上がったら

思いっきりふわっっっとしました。

 

睡眠導入剤残ってるのかな。

 

酔っ払いのように

お手洗いに行きました。

 

 

朝ごはんを少し食べて

最後の先生の診察を待つ間

またしても軽く過呼吸

 

内診台の上でも怖くて半泣き。

 

メンタルが弱いのは

自分でも分かっているので

そこまで自責の念はありません。

病棟のみなさま、すみません。笑

 

先生から

出産をしただけだから

普通に次の生理がきたら

妊娠を考えても大丈夫ですよ。

 

今回の処置で

次の妊娠が不利になるとかは

ありません。

 

と説明がありました。

 

1週間後の検診の時間を決めて

部屋に戻りました。

 

 

しばらくして夫が迎えにきました。

死産届を役所に出してもらい

火葬の許可をもらってくれば

赤ちゃんと帰れる

ということだったので

 

夫に役所に行ってもらい

その間は病院で

休ませてもらうことにしました。

 

公的な書類を見ると

死を突きつけられて

なんだか辛いです。

 

役所から戻ってきた夫は

領収書を持っていて

 

死ぬのにもお金かかるんよな

と思いました。

 

火葬の日は

夫も立ち会えるよう

日曜日になりました。

 

助産師さんが

部屋に

赤ちゃんの入った箱と

おもちゃとボーロ

お花を持ってきました。

 

みんなでお花を入れました。

私は泣いて

一つしか入れられませんでした。

 

おもちゃとボーロは

よかったらお供えしてあげてください

とのことでした。

 

少し部屋で泣いて

その間夫は何も言わず

 

しばらくして

部屋を出ることにしました。

 

助産師さんたちが

エレベーターまで見送ってくださいました。

 

ドアが閉まるまで

大きく頭を下げました。

 

本当に感謝しかありませんでした。

私を否定するようなことは一切言わず

夜中に話も聞いて頂いて

安心して

甘えて

入院できた。

 

きっとこの人たちのおかげで

私は早めに立ち直れる。

 

そう思いました。

 

病院内の廊下を

赤ちゃんの入った箱を持って歩く姿は

人目についたかもしれません。

 

私は必死で涙を堪えて歩きました。

マスクをしていて良かったと思いました。

 

同じ状況を迎える方のために書いておくと

13週をこえた、

お腹の中で亡くなっている死産

いわゆる掻爬術ではなく

分娩誘発をして産むタイプの流産は

産んでいるので

出産育児一時金がでます。

直接支払い制度を使ったので

支払いはゼロでした。

 

実際の医療費が25万ほどで

一時金との差額15万ほどは

健康保険に請求すれば返ってくる

とのことです。

 

せめて懐に優しかったのが救いでした。

ここまでの検診にかかったお金も

返ってきたようなものです。

 

それでもまだ余るので

気分転換に

美容室に行ったり

普段しないネイルを少ししたり

ちょっと気分が明るくなるような

何かに少し使って

余りは次の妊娠の検診用に

取っておこうと思います。

 

なお

私の入っている医療生命保険(共済)は

おりませんでした。

出産は病気ではなく

出産は自費診療だから

ということのようです。

 

自分に当てはまるかな?

と思われる方は

診療明細のところに

分娩自費とか書いてあるので

見てみてください。

電話できるなら

保険会社に問い合わせるのが

一番早いですね。

 

帰りの車の中で

骨壷がいるんだって

何も残らないかもしれないけど

と夫に言われました。

 

そりゃそうだよな

と思いながら仏具屋さんに行き

一番小さな骨壷を買いました。

それでも大きいなと思いました。

 

こんなに早く亡くなる赤ちゃん

いないよな。

と少し悲しくなりました。

 

昼ごはんを食べる元気もなく

家に帰ってからも部屋に閉じこもり

娘のお迎えも夫に頼み

夜まで何もしませんでした。

 

赤ちゃんの箱を冷やす保冷剤を

定期的にかえただけです。

 

何か考えるわけでもなく

涙もそんなに出ず

 

ただぼーっとして

 

娘と感動の再会をしたのに

ろくに遊んであげられなくて

娘も私の異変を察知しているようでした。

 

この夜も寝られなくて

隣で簡単に寝てる夫に少し腹を立てて

薬を飲んで1時間ほどで

記憶が途切れました。

 

この退院が水曜日

火葬は日曜日

辛いことはこの間に終わらせたい

 

そう思って木曜の朝

分娩予定だった病院に

キャンセルの電話をする

出産育児一時金の差額請求をする

と決めました。

 

結局電話だけして

木曜日が終わりました。

ゴロゴロして

寝るわけでもなく

夜になりました。

 

義父母と食べるから

食べるしかない夕飯。

夜一食状態で

思うほど食べられません。

それでも無理やり詰めました。

 

入院前と比べて3kgやせました。

(事前の蓄えが豊富なので問題はないです。笑)

 

食欲だけが取り柄の私を

義父母は心配しているようでした。

 

明後日から仕事の予定だけど

こんなに無気力で大丈夫かな。

 

明日はもう少し動いてみようかな。

 

と思いながら

ゴロゴロを継続しております。

 

もしお金のこと

処置内容のこと

質問があればなんでも

聞いてください。

 

初めての経験で

検索しまくって

ここに辿り着いた方が

いらっしゃると思います。

 

何かできることがあれば

声かけてくださいね。

流産のはなし⑧ 出産とその夜

今日も流産後の様子などのお話です。

読みたくない方はUターンお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

予想以上にあっさりと出てきた我が子。

腹痛はその後大してありませんでした。

 

でも

テレビをつけておく気にもならず

 

何かを考えてすごく悲しくなる

というよりは

何も考えていない感じで

 

ぼーっとしては

勝手に涙が出て

 

涙が出るから

あ、悲しい

ってなって

 

 

夜11時

気がついたら過呼吸になっていました。

 

 

助産師さんが

 

泣いていいんよ

泣いた方が後々楽よ

 

と背中をさすってくれて

落ち着きました。

 

落ち着くように

アロマしてみる?

といって部屋に用意してくれました。

 

泣きすぎて鼻がつまって

香りはあまり分からなかったけれど

気持ちが嬉しかったです。

 

 

家に帰ったら

気を遣って

辛いって言えなくなる。

 

夫だってきっとつらくて

私にどう声かけようって困ってて

何事もないように仕事で振る舞って

仕事も繁忙期で

色々大変だと思う。

 

私だけがいつまでも泣いてたら

みんなに迷惑をかける。

 

普通に振る舞えるか心配です。

 

自分の思ってた以上に

涙が出るんです。

 

悲しいのか

よく分からないけど

涙が出て

うわーってなっちゃうんです。

 

 

そんな話を

泣きながら助産師さんに

聞いていただきました。

 

ろくに目も合わさずに

天井に向かって喋るような

失礼な態度の私でしたが

助産師さんはしばらく傾聴してくれました。

 

赤ちゃんは亡くなってしまったけど

お母さんは立派に出産したでしょう?

出産は出産なの。

さっき母乳出ないようにするお薬

飲んでもらったでしょ?

体は「出産だ」って思ってて

だからホルモンも

いわゆる産後ハイってやつになって

頭だけ興奮状態になる

っていうのはよくあるのね。

 

気持ちと体と微妙にズレてたり

体の反応が先に出たり

しばらく戸惑っちゃうかもしれないね。

とのことでした。

 

助産師さんは

自身も心拍確認前に流産したことがあって

1週間泣いて過ごした

という話をしてくれました。

 

時間薬

というけれど

本当にその面はあると思うの

 

絶対最初が一番辛いから

明日退院しても

辛くて困ったら

電話してくれたらいいから

1週間後の検診おわっても

電話していいからね

 

と、産婦人科病棟の

直通の電話番号を教えてくれました。

 

その後も

次の妊娠に悪影響はないのか、とか

妊娠できても

不安で押しつぶされそう、とか

メンタル弱いんですよ、とか

いろんな心配事を相談しました。

 

しばらくして涙も落ち着いてきたので

寝ることにしました。

 

なにかまた心配になったら

ナースコール押してくださいね。

息苦しくなってもおしてね。

遠慮しなくていいからね。

 

気づいてるかもしれないけど

今日他の入院の方いないから

暇やで。笑

 

 

和ませる一言をくれました。

 

 

しばらく目を閉じて

 

でもまた涙が出て

いろんな気持ちが頭を駆け抜けて

 

深夜2時

また過呼吸に。

 

あまりに疲れ果てて

睡眠導入剤をもらうことにしました。

 

なんとも言えない気持ち悪さはありましたが

しばらくして眠りにつきました。

流産のはなし⑦ 対面

流産後のお話です。

読みたくない方はUターンお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

昼食後しばらくして

助産師さんが

小さな箱を持ってきてくれました。

 

赤ちゃん

おめかししてきたよ。

 

蓋を開けてくれて

 

あと一枚ガーゼをどけたら

赤ちゃんがいる。

 

でも

その一枚が

怖くて

どけられない。

 

涙が出ました。

 

 

死んでるんや

 

分かっていたけど

 

このガーゼの下で

 

死んでる

 

 

お母さん

抱っこしてあげて。

 

赤ちゃん見ないと

後で

想像に取り憑かれて

辛くなるよ。

 

どんな子だったんだろうって

考えてもどうにもならないのに

想像しちゃうのよ

 

だから

しっかり一度

見てあげて。

 

助産師さんが

ガーゼをどけました。

 

 

男女どちらでも似合いそうな

可愛らしい布で

 

たった5cmの子どもに

産着を着せてくれていました。

 

決して上手ではない手縫いで

 

だけどそれが

 

この子のためだけに

作ってくれたものだということを

示していて

 

小さすぎて

赤ちゃんだって思えるかな

と心配でしたが

 

こんなに

赤ちゃんとして扱ってもらって

 

あぁ

私の赤ちゃんなんだ

 

ようやく感じました。

 

 

助産師さんが

お母さん頑張ったね。

立派な出産だったね。

赤ちゃんかわいいね。

と一緒に

泣いてくれました。

 

たくさん

こんなケースを見てきただろう

プロが泣いている

 

だったら

はじめての私は

泣いたっていい。

 

 

 

赤ちゃんと二人で

お話ししてくださいね

と二人きりにしてくれました。

 

箱から体をだして

抱っこして

 

ほんの10g

 

赤ちゃんの重さなのか

産着の重さなのか

わからないくらい。

 

 

産着を開いてみると

 

手を前で組んでありました。

 

こんな細い手

とれないか心配になりながら

やってくださったのかな

 

とまたしても

優しさに涙しました。

 

からだはまだ細くて

目はくりっとして

口は少し笑っているような

 

お顔を見てよかった。

 

 

写真を何枚かとりました。

 

現像したら

データは消すつもりです。

 

撮らなくて後悔したくないから。

でも

とらわれたくはない。

 

私の決断です。

 

 

話しかけようかと思いましたが

できませんでした。

 

無理に話すのも

わざとらしくて

 

うまく言葉にはならなかったけど

 

手のひらに抱いたまま

 

たくさん泣きました。

 

 

 

泣いて泣いて

 

声には出さなかったけど

 

一つの気持ちだけは

 

確かにあって

 

 

 

折り鶴をつくろう。

 

そう思いました。

 

 

 

パパとママで

迎えに行くから

 

この世界に

もう一度飛んで来られるように。

 

迷わず

私のところに

 

来られるように。

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流産のはなし⑥ 陣痛から出産

流産処置のお話です。

読みたくない方はUターンお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

朝8時

お腹が昨日より痛いけれど

今から体力使うんだから

と頑張って朝食をとりました。

 

9時

主治医の先生がいらっしゃって

 

いきましょうか

 

 

内診台へ。

 

 

ラミナリアを全て抜きました。

 

入れる方が私は痛かったですが

抜くのも十分痛くて

また泣きました。

 

息吐いて!

って言われるけど

吐き方分からなくなっちゃうんだよな…

 

それが痛くて

気がついたら陣痛誘発の膣錠を

入れ終わってました。

 

部屋に戻るとすぐにお腹が痛い。

5分ごと。

でも悶絶するほどではない

強めの生理痛。

 

15分ほどで助産師さんが

大丈夫?

と見にきてくれました。

 

耐えられるレベルです

とお伝えして

また30分

 

おならがでそうかも

というような

大きなゴロゴロが4秒ほど

 

 

破水したかも

 

と思いました。

 

ナースコールをおして

見てもらうと

間違いなく破水

 

とのことで

分娩台へ歩いて移動。

 

登ったらまた水がダバダバ。

 

赤ちゃん小さいのに

こんなに羊水あるんだ

と思いました。

 

分娩台の上で

先ほどとさして変わらない

若干強くなったかな?

と言うレベルの痛みに耐えました。

 

入って40分

あ、またゴロゴロ

水でた

 

ショーツに違和感

ナプキンがお股にあたってる?ん?

 

いやちがう

 

頭でた

 

頭がショーツにあたってる

 

 

 

ナースコールをおして

 

なんか…

でちゃったかもしれません……

 

と伝えるとすぐ確認してくれて

 

あ、ほんとだね

と慌ただしい雰囲気になりました。

 

先生が来るまで

お腹をおして

子宮内のものを出そうとしてくれました。

 

 

こんなポーズしてるよ!

 

かわいいわぁ

 

お母さんに早く会いたくて

急いで出てきたのね

優しい子ね

 

などと声をかけ続けてくれました。

 

 

先生が到着され

赤ちゃんはしっかりでてきたよ

子宮の中にまだ少しものが残っているから

かきだしますね

と言われました。

 

絶対痛いやつや………

 

器具をおしあてられ

なにか入れられた瞬間

 

ものすごい震えはじめ

凄い勢いでおしりを遠ざける私。

 

先生が

よほど嫌やったんやな

ここまでの処置がな

もうこれで終わりやけど

鎮痛剤入れようか

 

ちょっと頭ぼーっとしてるうちに

さっと処置してしまうね

 

と点滴の手配をしてくれました。

 

赤ちゃんと切り離されたんだ

痛いの怖いよ

いろんな想いがまじって

泣いていたら

 

目閉じてていいよ

といわれ、

点滴が始まりました。

 

意識はあるけれど

返事ができない

うまく喉が使えない。

 

大丈夫?きこえる?

という助産師さんの声と

モニターの警告音と

 

バタバタと酸素マスクがとりつけられ

 

おまたからどろっと何か出た感覚

 

もう終わりましたよ

の声

 

 

なんだかよくわからないまま

 

そのまま1時間半がたちました。

 

 

大丈夫?

気持ち悪くない?

部屋までは車椅子で行こうね

 

とたった数秒の距離を運ばれて

 

いけるなら昼ごはん

食べましょ

 

と起こしたベッドの上へ。

 

一口食べて

喉に引っかかるような

気持ち悪さ。

 

横になっていると

助産師さんが様子を見にきてくれました。

 

気持ち悪いんじゃないかなと思って。

ゆっくり食べて

無理しないで

 

と声をかけてくれました。

 

 

最初のトイレは声かけてね

と言われていたので

ついでにお願いしました。

 

ショーツをとって立ち上がると

 

たちまち床に血がだらだら

 

用をたしてペーパーで拭いても

血だらけ

 

私大丈夫かな

と思いながら立ち上がると

ラク

 

しばらくはそんな感じでした。

 

お腹の痛みは

気になるほどではありませんでした。